大小あれど、やりたいと思ったことは基本やってきた。
が、少しの後悔も残したくないスタンスで生きたいのであれば、自分の「やりたい」のメーターが1mmでも上に振れたものを、もっというと、メーターが振れる前に "大義" から逆算して、
実現しまくる「行動力」が必要だと思った。
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詳細は伏せるが、昨日親族がなくなった。何が起こっているかもわからない、まだまだ小さな子どもが2人、そして最愛のパートナーを残して逝ってしまった。29歳の代だった。
断言して、本人に死ぬつもりは無かった。突然死だったという。
『KAIDOH’S FILM』の本質
この『KAIDOH’S FILM』は、現世での ”想い” を真空パックする活動だ。
その人の何気ない1日を、動画という方法で残している。そして、全く特別ではない、それだけのことが、将来、誰かの宝物や、何かの起点になりえると信じている。
特別ではない、何気ない当たり前こそが、人生を積み上げているからだ。
「保険」の類と、根本の考え方は似ている部分がある。大切な人に、なにかを残したい。(フィルムなら、ときには自分にも)
そういったことを体現できる一つの方法だ。
今感じている後悔
そんな活動をしておきながら、彼の動画を撮影していなかった。無理なことだけど。無理なことなんだけど、後悔している。
もちろん、撮影したから、逝ってOK、なわけがないことは理解してもらえると思う。が、この活動をしていて、親族の距離にいながらにして、
・最愛のパートナーが、彼の温度を思い出せるかもしれなかった
・小さい子どもが将来、彼を感じ、彼からのメッセージを受け取れる可能性があった
・死は悲しくとも、その悲しさとは別の方向で、遺族を和らげたかもしれない
そんなものを、残せなかったことに、久しぶりに後悔をした。
もう一回戻る
後悔したが、未来がわかっていないと、これは無理で、仕方のないことだ。なぜなら、僕からの「撮影させてほしい」という想いも、彼からの「撮影してほしい」 という想いも、なかったからだ。正確には、もっと先でいい、と無意識下で思っていた、と思う。考えてなかった。
徹底的に行動する力
だから、「家族、親族こそフィルムを残すべきだ」と思ったら、徹底的にやる。
いままでナチュラル、自然体に生きることを大事にしてきたが、これではちょっと後悔してしまう部分が出てくる。僕のナチュラルでは、大きなことを成し遂げるその距離も遠くなる気がする。先でも良くない?と直感的には思ったとしても、「親族こそフィルムを残すべき」という大義に従って、徹底的に、行動=フィルムを残していく力。
後悔しない生き方には、これが必要だと思っている。
この文章はまだ遺族には見てほしくない。あえて、タイトルもちょっと別の言い方で記載した。でも、遠くないタイミングで撮影させてほしい。残させてほしい。
僕が残したいと思う方、随時お声がけさせていただきます。逆に、フィルムを残してみるのもいいかも、と1mmでも思った方、このままご連絡ください。
撮影対象は、自分でも、身の回りの方でも。そのフィルムは、必ず人生にとって価値のあるものになると断言します。
KAIDOH’S FILM
2024.10.07